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1983年宮崎行 [はつかり(鉄系)]

古い写真を眺めていたところ、1983年年末の九州巡りのスナップが出てきました。
保存の悪いプリントをスキャンしていますので、画面の痛みがありますが、ご容赦ください。

国鉄のローカル線巡りに集中していたころのことです。


このときは「富士」で九州入り。門司で九州に入ってから長い長いヒルネ区間を走ります。
このころはすでに宮崎行きに運転区間が短縮されていましたが、宮崎に着くのはなんと夕方の15時44分。
冬のことですからもう日も傾くころとなります。
大分辺りまではかなり込み入ってきた車内も延岡を過ぎるとがらがら。ゆっくりヒルネできますが、さすがに飽きてしまいますね。とくにオハネ25の車端部の片側だけベッドのある区画でしたので、すいてくる大分あたりまでは車窓もせまく、佐伯か延岡あたりで隣に引っ越したんだと思います。

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宮崎に到着した「富士」

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この時代は九州内はED76にはヘッドマークは付いていなかったので機関車まで撮影しにはゆきませんでした。

途中で見かけた客車列車

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どこで撮ったか、残念ながら思い出せません。ネガを発掘すれば前後関係でわかるかもしれません。
地方幹線ではまだまだマニを連結した旧型客車列車が頑張っていた時代です。


宮崎から、今は亡き妻線にのります。日豊本線を少し戻った佐土原から分かれていた第1次特定地方交通線でした。列車は宮崎から直通、夕刻迫る終点・杉安に到着
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こんなローカル線がいっぱいありました。
妻線はこのほぼ1年後1984年の暮れに廃止されました。

この後、佐土原から延岡に移動。
このときにのった「にちりん34号」は583系電車のアルバイト運用でした。
翌年の2月改正で583系電車の日豊本線運用は廃止されました。

延岡で1泊後高千穂線に向かいます。

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延岡駅で見かけた485系(481系かも)の「にちりん」
小倉行きの「にちりん8号」と思われます。

高千穂線の気動車はキハ20の2両編成

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途中、木製の駅名票も懐かしい日の影駅で交換するキハ20。
ここも第3セクターへ転換後、2004年の洪水被害で結局廃止になってしまいました。

首都圏色のキハ20は全国どこでも見られた光景です。

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このころは各地でこういった”手抜き”サボがつかわれていました。これじゃあどっちに走るかわかりませんよ。
今どの行程に入るかによって走る向きが全く反対になってしまいますから、合理化によるサービスダウンも極まったというところですね。

終点、高千穂にて
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1972年に開業した比較的新しい路線でした。


このあと、高森に向かうバスに乗ります。(続く)
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