震災被害の仙石線の不通区間へ [やまびこ(旅日記)]
週末、震災被害で運転休止が続いている宮城の仙石線に行ってきました。
半年たったとはいえ、まだ傷のいえないなか、ボランティア活動をするわけでもない私が、被災地まで出かけるのは申し訳ないような気もしないではないのですが、
仙台に暮らしていた学生時代に、煮詰まった時に一人で海を見に出かけた奥松島(陸前大塚-東名)の景色を確認したいのと、お土産でも買って少しでも被災地の周辺を応援したいという気持ちでした。
東京(812)-[はやぶさ1号]-(940)仙台
仙台までは復活した東北新幹線「はやぶさ」で。考えてみれば、東北新幹線の300km/hは初めてでした。
仙台で仙石線の地下ホームへ出て、仙石線。
現在は松島海岸の先の高城町までの運転となっています。
仙台(1007)-[快速3021S]-(1033)松島海岸
仙石線に乗っている限りはひとまず地震の影響は感じられません。
塩釜の港もかなり回復しているようには見えました。
電車は高城町まで行きますが、代行バスは松島海岸で接続しています。
代行バスは東日本急行バス
松島海岸(1040)-[111便]-(1127)矢本
この時間帯はバス2台で接続していますが、さらりと席が埋まる程度。2台合わせて30人ほどの乗客のようです。松島の海岸通りを過ぎて、松島温泉の温泉街に高城町の代行バス停。ここは高城町駅とはかなり離れています。ずいぶんゆっくり走りますが、道路状態が悪かった時のダイヤを引き継いでいるのか、あちこちで行われている道路修繕工事の影響なのか。
この先手樽駅から先はほぼ線路に沿って走ります。
手樽駅を過ぎると道路は小さな峠を越え、線路はぐ~っと海沿いに移ってゆくのですが、このあたり、線路の築堤を越えて海水が入り込んでいるところが多く、傾いた架線中もところどころに・・・・
水没してしまった水田
陸前富山、陸前大塚と水に浸ったような線路が見えます。
このあたりは松島の島々を見ながら海岸沿いをゆく景勝地だったのですが・・・
印象的な傾いた架線柱
半分水没した築堤です
野蒜駅付近は、さらにひどいことに・・・・
もともと多くの民家があったのですが、ポツリポツリと残る家の1階部分はどれもこれもひどく破壊されています。
多くの民家は無人になっているのですが、中には2回で生活している方もいらっしゃるよう。
東名駅はなくなっていました
野蒜駅もひどい状態。
鉄筋コンクリート作りの駅舎ががらんと残っています
報道によると、宮城県とJR東日本は東名、野蒜両駅は、現在地での再建をあきらめ、数百メートル内陸側に移転する計画で合意したそうですが、駅舎には現在地での再開をのぞむ看板が貼られていました。
このあたりは、再開時期との絡みもあって難しい判断と言えるでしょう。
この先、線路は内陸側に入って、鳴瀬川を長いコンクリート橋で渡ります。
2000年に掛け替えられたばかりの鳴瀬川橋梁はびくともしていないように見えます。
地震に耐えたか
陸前小野を過ぎると道路沿いのパチンコ屋が営業していたりして、それなりの日常を取り戻しているようにも見えます。
矢本の航空基地が見えてきたら矢本駅。
ここからは鉄道が再開しており、キハ110の2両編成が往復しています。
矢本(1133)-[7121Y]-(1148)石巻
矢本-石巻間は変電所がやられてしまったので、気動車で仮の運行をしています。
小牛田区の陸羽線用のキハ1102連×2編成が助っ人に来ています。
この区間、信号設備もやられているのか、タブレットがつかわれていました。
石巻線でもタブレットホルダーを使用している姿が見られましたので、非常時にはいつでも使えるようにしているのですね。
石巻駅には架線のない線路に引き上げられた205系電車が休んでいました。
いつの日か、この電車も本線復帰する日が来ることを期待します。
線路をざっと眺めたかところでは、鳴瀬川橋梁が残ったのは幸いで、これ以外の地平区間を早いところ復活させれば、比較的早期の復活の可能性があるのではないかと感じました。
そのためには復興プランをできるだけ早く固めること。
場合によっては、現行路線での仮復旧も織り交ぜて進める手段もあるのではないかと思った次第です。
(続く)