伊豆の夏に向かって [はつかり(鉄系)]
伊豆の夏に向かって
いつまでも明けない今年の梅雨。
晴れ間を見つけて、白糸川鉄橋に行ってきました。
7月12日
3月から走り始めている、「サフィール踊り子」を中心に記録しておきましょう。
E257系「踊り子」が上ります
「サフィール踊り子1号」がやってきました
一度は乗ってみたいプレミアムグリーンシートですわ。
今度は新宿からの「サフィール踊り子5号」
美しい海を見ながら
もちろん東海道本線は貨物の大動脈。コロナ下での物流にも休むことなく活躍しています。
EF210の貨物列車がやってきました
ボディの汚れが頼もしい奴です。
<お終い>
懐かしのイベリア半島訪問(その5・90年④シントラへ) [はつかり(鉄系)]
懐かしのイベリア半島訪問(その5・90年④シントラへ)
リスボン3日目
3日目は・・・
本来この日の夕方テージョ川をフェリーで渡って、ポルトガル南部に夜行列車で向かい、早朝スペインとの国境を越えてアンダルシアに入る予定だったのですが、パートナーの体調が今一つのようなので、座席しかないローカルの夜行列車はあきらめて、マドリッドに戻る寝台車(クシェット)のチケットをゲットしました。
そこで昼間は郊外のシントラの王宮に行ってみることにしました。
小田急5000系続々増備 [はつかり(鉄系)]
小田急5000形続々増備
小田急の新型通勤電車、5000形。
2月の登場から1編成だけが連日走りまくっていましたが、おおむね評価も終わったのか、7月になって2編成が搬入されました。
第2編成は、1本目と同じ日本車両での製造。3本目は総合車両製作所の横浜事業所(元東急車両ね)での製造となり、沼津まで東海道を下って、御殿場線の松田から小田急線に搬入されました。
(国府津から曽我経由はJR貨物のルートがないのでしょうね。)
夕刻小田原を下る時間帯でしたので、16日会社帰りに行ってみました。
石橋のポイントに行ってみると、天気も悪い中、定番ポイントには20~30人ほどの同業者がスタンバイしていました。真上からより、サイド気味の方が、半流線型の先頭車両がわかりやすいかと、新幹線の西側のサイドから狙いました。
特徴的な運転席の形状もなんとかわかりました
夏の間に次の甲種があれば、真横からの撮影もトライしたいですね。
週末、海老名には真新しい5000形が2編成並び、相模大野の解体線には1000形電車の姿がありました。いつの世も新旧交代が繰り返されるわけです。
懐かしのイベリア半島訪問(その4 ・90年③ジェロニモス修道院) [はつかり(鉄系)]
懐かしのイベリア半島訪問(その4 ・90年③ジェロニモス修道院)
リスボンは見どころが多くて電車がいっぱいあるので、なかなか進みません。
リスボン2日目の夕方ジェロニモ巣修道院に行ってみました。
懐かしのイベリア半島訪問(その3・90年ロカ岬) [おおぞら(海外鉄)]
懐かしのイベリア半島訪問(その3・90年ロカ岬)
リスボン2日目
今日は、ユーラシア大陸の最西端ロカ岬に行ってみましょう。
パートナーさんの体調も回復したようです。
リスボンの西、40kmほどの郊外にあるロカ岬。リスボン市内の近郊電車駅、カイス・ド・ソドレ駅から電車に乗ります。リスボンの一般の鉄道路線は前日着いたサンタ・アポローニャ駅、町の中のロッシオ駅、西側へのカイス・ド・ソドレ駅と3つの国鉄駅があるのですが、山手線的な路線はありません。(地下鉄は当時2路線ありました。)
路面電車に乗って出かけます
懐かしのイベリア半島訪問(その2・90年リスボン逍遥) [おおぞら(海外鉄)]
懐かしのイベリア半島訪問(その2・90年リスボン逍遥)
リスボン滞在1日目
リスボンの中心地、ロッシオ広場に面したホテルにチェックインしました。
このころはロッシオ広場にも路面電車が走っていまして、部屋の窓から見下ろすことができました。
ポール集電の単車がゴロゴロ走っていました
少し外に出て町中を歩いてみます。
懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から 14)「名鉄・閑散線区をディーゼルにしてみたものの」 [はつかり(鉄系)]
懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から 14)
「名鉄・閑散線区をディーゼルにしてみたものの」
<時は移って、2000年の8月>
JRに客を奪われてますます苦しくなった名鉄は、傘下の閑散線区にレールバスを導入しました。当時、国鉄ローカル線を転換した第3セクターで規格型のレールバスが登場していましたので、これと同じように、最初は富士重工製のLEカーIIというタイプをキハ10型として、続いてLEカーの改良型をキハ20として導入。最終的には現在も各地の第3セクターで活躍している軽量タイプのディーゼルカーキハ30が主体になっていました。
しかし、2000年代に入ると閑散線区の廃止も視野に入ってきたようで、やまびこも名鉄の完乗に向けて再び動き出したのでした。
懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から 13)「名鉄600V線区があったころ」(2) [はくつる(なつかし鉄)]
懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から 13)
「名鉄600V線区があったころ」(2)
87年4月
続いて翌年、またやってきた夜行日帰りの名鉄巡り。
JRが発足した直後、定番の345Mサロ、この時は18きっぷシーズンではないので、小田原からでも着席できました。
岐阜駅から西側のローカル線、揖斐線・谷汲線に向かいます。
岐阜駅前です
この時間帯は直通電車がなかったので、忠節に向かいます。
新岐阜駅からこの電車に乗りました
忠節橋を渡って、忠節で揖斐線電車に乗り換え。
懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から 12)「名鉄600V線区があったころ」(1) [はくつる(なつかし鉄)]
懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から 12)
「名鉄600V線区があったころ」(1)
名鉄にはかって岐阜県内を中心に、いくつかのローカル線が存在していました。そういった路線、いわゆる600V線区を訪ねた日の記録です。