SSブログ

みちのく桜紀行(宮城編その2) [やまびこ(旅日記)]

4月22日

仙台郊外で開催されたイベントに参加するため、遠刈田温泉から仙台に移動。
高速バスでわずか1時間の道のりです。


遠刈田温泉(1047)-[宮城交通]-(1157)仙台駅西口


白石経由でちんたら行く人なんていやしません。

DSC_5623.jpg
仙台の桜は寒さの中、満開


駅裏のホテルにチェックインして、利府の山奥で行われるイベント会場へ↓


DVC00048.jpg
小田和正・ツアーでした。



小田さんにとっても第2の地元ともいえる仙台でのライブは盛り上がるなあ!



さて、一夜明けて4月23日


この日は休暇を取ってしまいまして、仙台周辺の桜見物を予定していましたが、まだ郊外のほうでは、まだ咲いていない模様。
松島の”西行戻しの松”というところが桜の名所らしいのですが、どうでしょうか。

まずは、松島に向かいます。
いつもだったら、仙石線でゆくところですが、今日は東北線のホームから。

途中見ておきたいところがありました。

DSC_5627.jpg
JR貨物仙台総合鉄道部のED75
3月改正で戦列を離れたナナゴー達が眠っていました



松島駅にて下車。
五大堂付近には仙石線松島海岸のほうがやや近いですが、仙石線は遠回りしているし、駅数が多くてまどろっこしい。東北本線も松島までは頻繁に電車が走るようになったし、スピードもかなり早いので、便利です。

瑞巌寺前の杉林を抜けてゆきますが、瑞巌寺の門前ぎりぎりのところまで津波が来たとのことです。
瑞巌寺は現在、大修理の最中で、主要な建物は大井に覆われています。

この時期、瑞巌寺の臥龍梅という紅白の梅が咲いているとおもわれます。
普通の年より遅れているのでちょうどいいかもしれないのです。
「臥龍梅は見学できます」との看板はあったのですが、入口から覗いてみると臥龍梅のある中庭は、花が咲いているようですが、ビニールカバーにおおわれていていい雰囲気には見えませんでしたので、今回はパス。
となりの円通院をのぞいてみることにしました。伊達正宗の孫に当たる光宗の墓所となっている寺院です。

入ってみると、この円通院がなかなかいい。枯山水の石庭に苔むした小山、その奥に光宗の御霊屋である三慧殿があります。

DSC_5646.jpg
入口付近の石庭


DSC_5655.jpg
静かにたたずむ三慧殿
支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったのでは以下と考えられている洋風の意匠がところどころにみられます。


続いて松島海岸駅の裏に上って、“西行戻しの松”に上ってゆきます。
20分近く上ってついたのが、”西行戻しの松”。

実は来るまでは”西行戻しの桜”だと思い込んでおりまして、桜の老木があるだろうと思っていたので、「桜の大木なんかないぞ」と探してしまいました。正しくは「西行戻しの松」
西行法師が諸国行脚の折、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、松島行きをあきらめたという由来の地。中世に京都の朝廷を警戒した東国の人の間に伝わる伝説の類なのでしょう。

桜が植えられたのはずっと後のこと。

DSC_5676.jpg
松の間から松島の景観をのぞむ



DSC_5683.jpg
桜はこんな感じでした。まだまだ。(4月23日撮影)



今日はここまでとして仙台に戻り、しばし買い物後、帰宅しました。


仙台(1644)-[やまびこ148号]-(1848)東京
nice!(15)  コメント(4) 
共通テーマ:旅行

nice! 15

コメント 4

suzuran6

ED75…たしかに、十分働いてくれたのでしょうね。
ついつい、自分の歳も考えずに、もう早っ!!と思ってしまいますが…
円満退職なんでしょうね。ちょっとシンミリです。

小田さんですか。
私バリバリ、オフコース世代です!!
by suzuran6 (2012-05-05 18:57) 

サットン

ED75、ずいぶんひっそりと引退しましたね。
私のイメージする東北は旅客も貨物もED75なんですが。
by サットン (2012-05-06 14:53) 

やまびこ3

suzuran6さん
盛岡在住時、一部の特急をのぞいてすべてED75ばかりでした。
あれだけ沢山あったのでよもやなくなることは想像もできませんでしたが、私も年をとったように、75も年をとるのですね。
小田さんのツアーは基本3年に1シリーズなので、なんとか遠征しています。(今回のは去年の震災で延期されたものです。)
by やまびこ3 (2012-05-06 19:37) 

やまびこ3

サットンさん
JR貨物のED75は引退イベントもなく、ひっそりと引退してしまいました。最後の重連運転ぐらいやってくれるのではないかと思っていましたが、震災の影響でそれどころではなかったのでしょう。(最後の盛岡からの貨物は運用の都合で重連だったようですが)
40年以上にわたってご苦労様でした。
津軽海峡線のED79の人気が上がりそうです。
by やまびこ3 (2012-05-06 19:42) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。