台湾1989 (その2 蘇花公路をゆく) [やまびこ(旅日記)]
蘇澳で、昼食後、花蓮までは鉄道ではなく、蘇花公路をゆくバスの旅を選びました。
1989年の蘇澳市。
冷泉で有名なところですが、湧き出している温泉は冷たくて、とても入れそうにありません。
手元に記録がないのですが、当時の蘇花公路をゆくバスは、午前午後1往復。残念ながら今は全区間を走る路線バスはありません。
蘇花公路をゆくバス
バット社ばりのセミステンレスカーです。当時の台湾ではコルゲート版をまいたバスが大流行していました。
山間部に入ってきました。
先行するのは、セミデッカーの観光バス。
だんだん、険しくなってきました。
黒部川の下の廊下のような岩肌に切り込まれた道をゆく!
海岸に出ました。
200mの断崖絶壁だと聞きました。
み、道がない!
なんとかトンネルでくぐりぬけて・・・
途中、和仁というところで、休息を挟んで、恐怖の旅は続きます。
岸壁に掘りこまれた筋のようなところを通ってきたのです。
3時間かけてようやく平地に出ました。
記憶が定かではありませんが、多分タロコ峡から下ってきた立霧渓の河原に出たところだと思います。
ちょうど、長い編成の莒光号が下ってゆきました。
列車はこの断崖を長いトンネルでぬけて走っています。
北廻り線は当時開通して10年もたっていなかったと思いますが、ひっ迫する需要に、あっという間に複線電化工事が行われました。おそらく、この鉄橋も放棄されて隣に新しい鉄橋とトンネルができているはず。
明日は、タロコ峡に向かいます。
1989年の蘇澳市。
冷泉で有名なところですが、湧き出している温泉は冷たくて、とても入れそうにありません。
手元に記録がないのですが、当時の蘇花公路をゆくバスは、午前午後1往復。残念ながら今は全区間を走る路線バスはありません。
蘇花公路をゆくバス
バット社ばりのセミステンレスカーです。当時の台湾ではコルゲート版をまいたバスが大流行していました。
山間部に入ってきました。
先行するのは、セミデッカーの観光バス。
だんだん、険しくなってきました。
黒部川の下の廊下のような岩肌に切り込まれた道をゆく!
海岸に出ました。
200mの断崖絶壁だと聞きました。
み、道がない!
なんとかトンネルでくぐりぬけて・・・
途中、和仁というところで、休息を挟んで、恐怖の旅は続きます。
岸壁に掘りこまれた筋のようなところを通ってきたのです。
3時間かけてようやく平地に出ました。
記憶が定かではありませんが、多分タロコ峡から下ってきた立霧渓の河原に出たところだと思います。
ちょうど、長い編成の莒光号が下ってゆきました。
列車はこの断崖を長いトンネルでぬけて走っています。
北廻り線は当時開通して10年もたっていなかったと思いますが、ひっ迫する需要に、あっという間に複線電化工事が行われました。おそらく、この鉄橋も放棄されて隣に新しい鉄橋とトンネルができているはず。
明日は、タロコ峡に向かいます。
『憧れのハワイ航路』じゃなくて『憧れの蘇花公路』!の画像ありがとうございます。聞きしに勝るスリリングさですね。私も一度は経験しようと台北から夜行日帰りプランは立てたものの、結局実現しませんでした。仕事仲間の台湾の人に『危ないから止めなさい』といわれてしまったのです(笑)。
by Cedar (2010-06-05 00:20)
たしかに、最後から2枚目の写真を見ると1枚岩の断がいに無理やり一筋の道路を掘りこんだのがわかります。多分、10台では下らない数の車が海に沈んでいるのではないかと・・・・
このころは舗装もされていない状態で、大型バスがガンガン走っていたので、日本では考えられません。
by やまびこ3 (2010-06-05 17:08)