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懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から1) [はつかり(鉄系)]

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懐かしのローカル線巡り・津軽鉄道(やまびこの写真帳から1)



ソネブロの皆様、コロナウィルスの流行下、お元気でお過ごしでしょうか。
本日の岡江久美子さんの訃報、本当にショックでした。なんでかなあ。

新しいネタもほとんど仕入れられない今日この頃、ネタ切れ状態のやまびこがひねくりだしたのが、この記事。

たいそうなタイトルをつけてしまいましたが、1980年代初め、国鉄線の乗り歩きとローカル私鉄の写真撮影にはまっていた時代のスライドを取り込んで、乗車記録と突き合わせつつ昔を懐かしむという自画自賛な企画です。


まずは、以前にも何枚か紹介した「津軽鉄道」
この鉄道は現在でも運行を続けている青森県の民鉄、ストーブ列車を運行していることで有名ですが、1983年2月に初めて訪問した時の記録です。

592ダイヤ改正(昭和59年2月)の国鉄ダイヤ改正の前、まだまだ地方の民鉄でも
貨物列車を運行しているところが何か所もあり、津軽鉄道も貨物の取り扱いが大きな収入を得ていました。というか、朝方2往復の混合列車を運転していました。
貨物の運賃は比較的高かったのか、地方私鉄にとっては大きな収入源になっていたと聞きます。


当時、津軽鉄道では17m級の古典客車(オハ31系)を3両保有しており、通学時間帯には、この客車を含む4両の客車をディーゼル機関車がけん引する客車列車、もしくは貨車をつないだ混合列車として通学需要を賄っていたのでした。まもなく20m級のオハフ33などに置き換えられると雑誌で見て、真冬の津軽鉄道に向かったのでした。
(このころ国鉄から受領したオハフ33や、オハ46が現在までストーブ列車に使用されています。)

そのころ、一眼レフを購入し、リバーサルフィルムでの撮影を始めたばかりでしたので、スライドとネガが混在しているのですが、手元にあるリバーサルフィルムからスキャンしてみたいと思います。


青森に泊まって、朝、川部経由で五所川原に向かいます。
五所川原から終点の津軽中里までストーブ列車で移動。通学時間帯のスト部列車は学生でいっぱいでしたが、2つ目の五所川原農林高校前でほとんどの学生が下車してしまったことを覚えています。途中、嘉木駅でも貨物取り扱いがあり、日通のトラックが貨車を押し牽きしているのを見てびっくり。


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津軽中里で入れ替え中



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客車はダブルループのオハ31


一番手前の車端だけ入っているのは、元西武の電車を改造したナハフ1200。この客車は石油を使った暖房装置が搭載されていました。この車両は現在も五所川原駅構内に放置いや留置されて、倉庫代わりに使われているものです。


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オハ31 2のサボ回り
狭窓に大量のリベット



この時代でも十分に古いものでした。
現在この編成の中の1両オハ31 1が大宮の博物館に保存されています。


中里から中間の主要駅金木に戻りました。

ここで、機関車が貨物の入れ替え作業に入ったようです。


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ワムハチ入れ替え作業中


入れ替えを終わって、客車に機関車を付け替えて上ってゆきます。


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貨車はここに置いたまま機関車がナハフ1200を引き出してゆきます


下手ですね~。なんてタイミングでしょう。


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腕木式信号機を交して出てゆきます



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4両の客車をひいて出てゆきます



この信号機は現在でも現役で稼働しているハズ。

次の列車まで、斜陽館などを見学して、戻ってまいりました。

駅の南の雪原で下り列車を待ち受けます。


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ワムの長い列を牽いて混合列車が来ました
客車は2両だけになっています



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行き違いの気動車列車



貨物輸送に活躍していた津軽鉄道の一コマです。


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次の気動車列車で五所川原に戻りました



キハ24000型は国鉄キハ20とほぼ同じ車両です。
今、嘉木駅に留置されているのは後々国鉄から払い下げを受けてキハ22.これ、香取慎吾を使ったTV番組が2回ほどペインティングをしたのですが、その後放置されてひどい状態になっています。イベントで使うなら責任をもって、定期的に塗りなおしぐらいしてほしいものです。


五所川原駅で留置されている車両を観察。

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ラッセル車のキ101
現在でもイベントや除雪作業に使われることがあります



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DD35



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当時の主力キハ24000




この後、弘前に戻り、雪灯籠祭りを見物しました。


<お終い、作業が進めば続きます>







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コメント 6

skekhtehuacso

ダブルルーフ3連の写真は、今となっては貴重な史料ではないでしょうか。
昭和後期くらいまでは、ローカル線でも少量の貨物を扱っていたみたいですね。
ときどきyoutubeで、仕事をサボってその記録を見ています。
by skekhtehuacso (2020-04-23 21:38) 

やまびこ3

skekhtehaucsoさん
中ほどの写真をご覧いただくとワム8が10両もついています。このころの新聞に、南部縦貫鉄道が野辺地駅での貨物扱い継続を国鉄に要請したら、東青森まで乗り入れればいいだろ、と言われてあきらめたというのがありました。大所帯の国鉄では利益が出なくても、小回りの利く地方私鉄では貨物が重要な利益源になっていたことがわかります。
by やまびこ3 (2020-04-24 12:09) 

ciel-bleu-fonce

自画自賛、大歓迎です。写真はどのように電子化してらっしゃるのですか?
by ciel-bleu-fonce (2020-04-25 17:29) 

やまびこ3

ciel-bleu-fonceさん
過去の記録もデジタル化してゆかないとなくしてしまいそうですので、少しずつでも進めようと思います。
以前は、フラットベッドスキャナーでやっていたんですが、セッティングがあまりに面倒くさくて、やめてしまいました。その前はSCSII接続のを持ってましたが、もはや死語。最近簡易型のSDカードに直接書き込めるのを買ってみたのですが、解像度がダメダメです。どうしよう。
by やまびこ3 (2020-04-26 10:57) 

suzuran6

オハ31に社章がついていませんね。これだと模型的には楽そうです。
ナハフ1200あたりは西武鉄道が引き取り、里帰りさせて、せめて外装だけでも復元してくれないかなぁ~なんて考えてしまいます。
by suzuran6 (2020-04-26 19:26) 

やまびこ3

suzuran6さん
ナハフ1200、今でも動かせるのかなあ。と思って調べたら10年前の80周年記念の時にDD352に牽かれて動いていました。
https://yamabiko.blog.ss-blog.jp/2010-08-30
できれば整備してほしいもんです。
by やまびこ3 (2020-04-29 05:06) 

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