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懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から4) 九州乗りつぶしの旅 [はつかり(鉄系)]

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懐かしのローカル線巡り(やまびこの写真帳から4) 九州乗りつぶしの旅



1983年11月、12月の九州の旅です。

まず、11月の旅から
月末の3連休を利用して、なつかしい「あさかぜ1号」で小倉に到着。ここから北九州地区のローカル線の乗り歩きに向かいました。


香椎から、香椎線の西戸崎を往復し、内陸に入り宇美へ。


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香椎で西鉄宮地岳線をちょっと覗いてみます



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キハ65



キハ28、58で運転されていた急行列車の冷房化を進めるにあたり、2エンジン車のキハ58への追加電源用のエンジンを搭載することができないため、キハ58を多用していた勾配線区での電源供給余力を生み出すため作られた500馬力の強力エンジンを搭載した急行用の気動車です。車体は12系客車とほぼ同じでシートピッチの拡大も図られていました。

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宇美駅


香椎線と勝田線のジャンクションでした。香椎線は盛業中ですが、勝田線は1985年に廃止されました。より博多に近い勝田線はやりようによっては、都市近郊路線として活用できたのではないかと思ってしまいます。

この後筑豊地区の乗り歩き、まだ筑豊には多くの運転路線が残っており、苦労して乗車した漆生線、上山田線、宮田線、香月線などすべてなくなってしまいました。




12月再び九州を訪問

今度は、「富士」で宮崎入り。「富士」は宮崎まで走っており、夕方の3時過ぎに到着するダイヤでした。宮崎県内のローカル線を乗り歩き、高千穂線、高森線から小国線を回って、再び北九州へ。

この時期、リバーサルとネガを行き当たりばったりで使っていたので、スライドが残っているのがとびとびになっているのですが、この時の旅の様子は以前の記事「1983年宮崎行」「1983年筑豊~南九州へ」にも記載しておりますので、合わせてごらんください。


北九州地区に戻ってきて、向かった室木線。


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スハ43系をひくDE10が蒸気暖房の煙を上げています


室木線は最後の方まで客車列車が走っていました。


北九州の路面電車もまだ元気でした。

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折尾駅付近にて




1年半後、またまた九州に向かいました。

85年8月

「はやぶさ」で九州入り。
世はブルートレインブームの時代。偶然、会社の隣の課の課長さんがご家族で乗車されていて
「いや~、子供に頼まれちゃってね~」
とかおっしゃってらっしゃいました。

それはともかく、久留米で下車し、久大本線、豊肥本線をめぐって、熊本へ。
熊本市電と熊本電鉄を乗り歩きました。


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辛島町電停付近



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熊本城付近にて



熊本市電は、日本で最初のVVVFインバータ電車8200型を導入した都市ですが、まだ1両がデビューしたばかりの時で、まったく目にすることはありませんでした。
観光も欠かせません。

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熊本城に上り



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水前寺公園をめでる



市電で上熊本に出て、ここから熊本電鉄に乗車しました。
当時、本線は上熊本-菊池まで営業していました。運転系統と同様、上熊本-菊池間と藤崎宮ー北熊本間に分かれておりました。
上熊本-菊池間は元東急の青ガエル5000系。

北熊本-上熊本間は元南武鉄道のモハ122が走っておりました。


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元南武鉄道のモハ122


上熊本駅の車両基地にはいろいろな車両が留置されておりました。


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元静岡鉄道の500形が何やら装飾されたまま止まってます


いい時代でした。

熊本の後は「有明」で西鹿児島へ。鹿児島市電を乗り歩き。
当時は現在廃止になってしまった、上町線・伊敷線も現役で運行していました。こんなに充実してた路線網を廃止してしまったとはもったいないことです。


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桜島の火山灰に煙る市電



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鹿児島駅にて



夏は風向きの関係で火山灰すごいんですよ。
翌日桜島観光に向かいます。

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火山活動も盛んな時期だったんですねえ



当時、国鉄の九州ワイド周遊券で、国鉄バスの運行する桜島観光バスをロハで利用できました。
フェリーで渡った桜島側は桜島町営バスに委託していたようです。太っ腹国鉄様です。


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国鉄バスと似ていると思います



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途中下車印でいっぱいの九州周遊券
懐かしっす



鹿児島市内に戻って鹿児島駅に行ってみますと、何のイベントか忘れてしまいましたが、鹿児島機関区が公開されていました。



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なんとお召列車牽引スタイルのED76



EF30も門司から持ってきて展示していました。

当時、鹿児島まで来ていたブルートレイン3兄弟のヘッドマーク展示もありました。

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「なは」「はやぶさ」「みずほ」



いや~、鹿児島鉄道管理局。素晴らしいイベントだったんですね。
その後なぜか、山川・指宿に観光に出かけています。

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多分、長崎鼻から開聞岳を



西鹿児島から「かいもん」のハナネ20で北九州に取って返し、北九州の路面電車を乗り歩いた後、博多に行って、篠栗線を乗りつぶしました。

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篠栗線の桂川


実はこの駅が、やまびこの国鉄線完乗の駅となったのでした。篠栗線は、思った以上に近代的で(今では電化までされて)まことに雰囲気に欠ける完乗の瞬間となったのでした。それでも1人さびしく、お祝いということで、私にしては珍しく記念写真を撮りました。

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これで、数年をかけた国鉄線乗車は終了、ほっとしたのか、このあとわざわざ、別府に行って九州横断道を走って、久住高原、阿蘇の観光をしています。

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九州横断バス



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大漢方からの阿蘇の姿
確かに仏の寝姿に見えます



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阿蘇の火口も望みました



この後、「みずほ」のハネで横浜に帰ったのですが、この2年後には国鉄は解体されてしまいます。
嵐の前の静けさ、中曽根の国鉄解体は決まっていた時期かと思いますが、あまり現実感を持てなかった時代でした。


<お終い>





















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コメント 2

hanamura

私は昭和59年の6月から12月まで、鹿屋に居たので丁度前後ですl東京から西鹿児島まで「はやぶさ」に乗りました。そうそう、夏は薩摩半島、冬は大隅半島側に灰が降りました。初めて天文館に行ったら、空が暗くなって、架線から火花が出ていた覚えがあります。
by hanamura (2020-05-08 05:51) 

やまびこ3

hanamuraさん
こんにちは。この何年か後の夏にも鹿児島に何か月か滞在する機会がありましたが、桜島の火山灰にはほんとに困りました。
桜島の景色や鹿児島市電、日豊本線から眺める錦江湾の景色は懐かしい。
by やまびこ3 (2020-05-09 16:24) 

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