2011秋の「日本海」乗り鉄日記 10.15~16 (番外編) [はつかり(鉄系)]
2011秋の「日本海」乗り鉄日記 10.15~16 (番外編)
祝!八甲田丸、機械遺産認定
青森駅でかなり時間があったので、久しぶりに八甲田丸に行ってみました。
はじめて青函連絡船に乗ったのはもう40年も前の1972年でしたから、まさに連絡船の全盛時代でした。
その後、高校の写真部の連中が青森の港で写真、8mmを撮ってきたのをみて、港にはこんな素敵な景色があるのかとあこがれにも似た感情を持っていました。
国鉄時代は北海道に行くときはもっぱら連絡船でしたから10数回は利用したかと思います。
また、青森の港は連絡船の出入りを直接見れるところに市民が入れる岸壁があり、その後、アスパムの展望台もできましたからなじみのあるところでもあります。
相変わらず美しいフォルムの八甲田丸
ファンネルマークはJNRのほうがだんぜんかっこいい
可動橋と一緒に保存されています
この可動橋ともども日本機械学会の指定する機械遺産に認定されました
青森の八甲田丸、函館の摩周丸とも機械遺産に指定されましたので、永久保存に知恵を絞ってもらいたいものです。9月で公開の終わってしまった羊蹄丸が気がかりです。
船籍は青森?
国鉄時代は国鉄本社のある東京が記されていました。JR北海道になってからは函館となっていたと思いますが、今でも船籍があるのでしょうか?
さて、横っ腹にある入口に向かいますと左手に何やらキハ58系らしき気動車3両が並んでいます。
青森駅の線路の延長線上の引き込み線のあったあたりです。
ゲゲゲ!キハ56か?
どうやら休憩施設としておいてあったようですが「都合により閉鎖中」とよくある看板があって、ぼろぼろに朽ちかけています。クリーム色基調に塗装されていますが、窓の小ささや2重窓のように見えましたので、北海道用のキハ56かもしれません。
運転席にはツタが入り込んでひどいことになっていました。
幽霊列車ですか~
なんともかわいそうな状態です。
ひどいことするなぁ。責任持てないならこんなもの置いておくなよ。
気を取り直して、八甲田丸へ。
入場料は500円なのですが、16日は記念日で1割引きとなっていました。
なんでも保存公開された記念日で毎月16日は割引きになるそうです。
船体の保存と同時に青函航路の歴史、連絡船の歴史が展示されていますが、
入口から入ると、
「お~、ここはカウンターのあったところ」
「この一角にKIOSKがあったなあ」
「こちらは桟敷席」
と思いだして、懐かしいばかり。
思わず、「懐かしい~!」 と大声が出てしまって、近くにいた
そう、やまびこは独り言が大きいのです。
現在位置をしめす電光掲示板
これは大雪丸のものですが、℃の船にも設置されていて
仏が浦が近いなどといっては甲板に行ったものです。
グリーン指定席の座席が並んでいます。
当時はこのほかに時間は短いが寝台なんかもありました
一度は入ってみたかった操舵室
その後の連絡船という特別写真展が行われていて、各地に散って行った仲間たちのその後の消息が紹介されていました。青函航路廃止からもう25年にもなるので、各船とも現役を引退してしまっていることでしょうが、ひょっとすると東南アジアでフェリーとして生き延びているのがいるかもしれませんね。
展望甲板には現役時には絶対あり得なかった煙突展望台まで作られていました。
メインのファンネルの中に階段を作って、上部まで上がれるもので、なんとも不思議な感じ。
さていよいよ車両甲板に降りてみます。
なぜかスユニ50が2両も搭載されています。
北海道のクイーンキハ82
できれば「おおぞら」か「北海」あたりのヘッドマークを入れてほしいものです
DD16と控え車
青森駅の1番線の前では1日中、連絡船への押し込み
引き出しが行われていたものでした。
でも青森でDD16がつかわれたことはあったのかな。
私の知っている範囲ではDD13かDE10だったけどな。
ゆっくり見て回ると1時間もかかってしまいます。
連絡船最後の冬、往復青春18きっぷで、乗りに来た事を思いだしました。
(今ではとてもできません。)
その時、青森港で撮った写真を発掘しました。
1番ホームの前で積み込み作業中の大雪丸
跨線橋のすぐ下まで船が入ってきていました
青森港に入港する連絡船
色から判断すると羊蹄丸?
港を出てゆく連絡船
こちらは十和田丸空知丸か?
実にスマートな船体でした。
アスパムから俯瞰で撮ったのもどこかにあると思うのでそのうち機会があればご紹介したいと思います。
大満足で、八甲田丸を後にしました。
青森空港(2035)-[JAL1210]-(2155)羽田空港
(完)